世界の歴史記憶に名をとどめる支倉常長。伊達政宗の命でローマに渡り、外交交渉にのぞみ多くの足跡を現地に残しながらも江戸幕府の禁教政策によって帰国後の常長は明治にいたるまで歴史の闇に葬り去られてきました。そうした中にあって大郷町には政宗の図らいで隠れ人として延命し84歳の天寿をまっとうしたという伝承が語り継がれて「梅安清公禅定門」支倉氏と刻まれた墓があることから全国から参拝に訪れる方が絶えません。
地域の伝承を後世に残そうと平成7年に支倉常長供養舞「郷さんさ」が創作され県内各地で舞の披露が行われています。